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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)65号 判決

原告 国

訴訟代理人 館忠彦 外二名

第六一号事件被告 藤井英男

第六五号事件被告 原田正夫

第六六号事件被告 藤江久雄

第六七号事件被告 下光軍二

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告指定代理人は、「被告らは原告に対し、それぞれ別表〈省略〉(一)請求金額該当欄記載の金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、つぎのとおり陳述した。

(請求原因)

一、(一)、原告は、開拓者資金融通法にもとずく融資として、当時東京都新宿区戸山ケ原開拓地において耕作の業務を営んでいた被告らおよび訴外白井浩三に対し、いずれも(イ)据置期間中は無利息(ロ)償還期間中は年三分六厘五毛の利息および元金を均等年賦償還する(ハ)借主が耕作の業務を廃止(以下「離農」という)した場合または借主から一時償還の申出があつた場合には、いつでも、貸付金の全部または一部につき一時償還を請求することができる旨の約束で、別表(二)記載のとおりそれぞれ資金を貸渡した(以下これを「本件貸付金」という)。(二)、被告藤江は昭和二二年三月一九日原告に対し、訴外白井浩三の右貸付金返還債務につき連帯保証する旨の約束をした。

二、しかるところ、被告らおよび訴外白井浩三はいずれも昭和二四年一〇月ごろ離農し、あわせて本件貸付金の全額につき一時償還の申出をなした。

三、よつて原告は前項(ハ)の約束にもとずき同人らに対し別表(三)記載のとおりそれぞれ納入告知書を郵便により発送して、その指定納期までに各請求金額を一時に償還すべき旨の催告をし、右告知書はいずれもそのころ同人らに到達した。

四、よつて、原告は被告らに対し、それぞれ、別表(一)内訳欄記載の金員として同表請求金額欄記載の金員の支払を求める。

(抗弁に対する答弁)

一、抗弁第一項の事実は否認する。訴外東京都は本件貸付金返還債務を免除するなんらの権限も有しない。

二、同第二項の事実中、一時償還事由の発生およびその時期ならびに本件支払命令申立の日時ないし被告主張の各期間経過の点は認めるがその余は争う。本件貸付金につき一時償還事由が発生した場合でも、借主はこれにより即時かつ当然に期限の利益を失うものではなく、その消滅時効は本来の各年賦償還期限毎に進行するものというべく、ただ原告が、知事の進達にもとずき一時償還請求の可否を調定したうえこれにもとずいて一定の納期日を指定記載した納入告知書を発行送達したときに右納期日の到来をまつてはじめて原告はその全額につき請求権を行使することができるのであるから、本件貸付金全額についての消滅時効の起算点は前記納入告知書記載の指定納期日の翌日である。また開拓者資金融通法による貸付は、借主の自由な判断による借入申込に対し貸主たる原告が承諾を与える契約によつてなされるもので、性質上は一般私法上の契約にもとずくものと解すべきであるから(右貸付は被告主張のごとき法令の規定にしたがつて行われるものであるが、これはあくまで行政主体のなす私法行為についての制約であるにすぎない)、右契約による本件貸付金の返還請求権は私法上の債権として民法第一六七条の適用があり、会計法第三〇条の適用がないものというべく、したがつてその消滅時効の期間は一〇年である。

三、被告らの入植の事実およびその時期ならびに離農および本件開拓地からの退去の事実およびその時期の点については認める。その余の事実は否認する。被告らの離農および立退きは、原告が被告らに対しいずれも相応の補償をしたうえ双方の合意によりなされたものである。

(再抗弁)

仮りに本件の時効起算点が被告ら主張のとおりであるとしても、原告は被告らおよび訴外白井浩三に対し、本件貸付金につきそれぞれ別表(三)記載のとおり納入告知書を発送し、右告知書はそのころ同人らに到達した。したがつて右納入告知書の送達により被告ら主張の時効は中断した。

(証拠関係)〈省略〉

被告ら訴訟代理人および被告下光はいずれも請求棄却の判決を求め、つぎのとおり陳述した。

(請求原因に対する答弁)

第三項を除き、請求原因事実はすべて認める。

(抗弁)

一、昭和二四年一〇月初旬ごろ被告らが訴外東京都と離農についての補償金額について接渉した際、東京都は、本件貸付金の取立その他に関し一切の処分権限を有する原告の代行機関として、被告らに対し本件貸付金の返還債務をすべて免除する旨の意思表示をした。よつて被告らの原告に対する本件貸付金返還債務は右免除により消滅した。

二、仮にしからずとしても、昭和二四年一〇月ごろ、被告らおよび訴外白井浩三が離農し、あわせて本件貸付金の全額につき一時償還の申出をしたことにより、本件貸付金につき一時償還事由が発生し、その時から原告は本件貸付金の全額につきその返還請求権を行使しうべきものであつたところ、(一)、原告が右貸付金請求につき本件支払命令の申立をした昭和三五年三月三〇日にはすでに右一時償還事由発生のときから五年を経過している。しかして右請求権は国の金銭債権で、その収支はすべて会計法の定めるところによつて行われるものであるのみならず、私法上の消費貸借契約と異り、その貸付および返還等はすべて国の予算に関する法律、開拓者資金融通法ならびに同法施行規則等もつぱら国が一方的に定めた条件によつてのみなされ、借主にはその内容につきこれを選択する自由が全くないものである。よつて本件貸付金返還請求権には会計法第三〇条の適用があり、その消滅時効の期間は五年である。(二)、仮にしからずとしても、右支払命令申立のときには、一時償還事由発生のときから一般私法上の債権の消滅時効期間たる一〇年をすでに経過している。したがつて、被告らの本件貸付金の借主としての責任ならびに被告藤江の前記連帯保証人としての責任はすべて時効によつて消滅している。

三、仮に以上の主張が認められないとすれば、被告らは昭和二一年ごろ、食糧増産という当時の国策に応じて一生を農業にささげる決意で、少なくとも農業経営に成功を収めるに必要な相当期間耕作させる約束のもとに、本件開拓地に入植し、多くの苦難に耐えて右開拓地の開発に着々成功を収めつつあつたにもかかわらず、入植後まもない昭和二四年一〇月ごろ、原告は右約束に反し突如として国策の変更を理由に、相当の補償もせずして一方的に被告らの同地における営農を断念せしめて被告らを同地から退去せしめるにいたつた。これにより被告らのこうむつた精神的損害は甚大でその額は被告ら一人につきいずれも金三万円を下らない。したがつて、被告らはいずれも原告に対し、右債務不履行にもとずく損害賠償として、それぞれ少なくとも金三万円を請求する権利がある。そこで被告らはいずれも本訴において、右債権をもつて原告の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。よつて被告らの原告に対する貸付金返還債務は右相殺により消滅した。

(再抗弁に対する答弁)

再抗弁事実はすべて否認する。

(証拠関係)〈省略〉

理由

原告主張の請求原因事実については、同第三項を除き、当事者間に争いがない。そこで右争いのある点はしばらくおき、抗弁につき審究する。

まず、免除の主張につき判断するに、証人石葉光信の証言および被告ら各本人尋問の結果によると、訴外東京都は昭和二四年はじめごろから、東京都新宿区戸山ケ原の本件開拓地に都営住宅を建設する計画にもとづき当時同地に入植していた被告らに対し同地からの立退を求めるため、その立退条件について被告らとの間に再三交渉をつゞけたが、その際被告らから東京都に対し本件貸付金の返還につき免除その他の善処方の要求がなされ、右要求に対し同年一〇月ごろ、右交渉にあたつていた東京都の係員訴外石葉光信において、本件貸付金の返還期限その他につき被告らのためにできるだけ善処するよう努力する旨言明するにいたつた事実が認められる。しかし、右の事実をもつてはまだ本件貸付金返還債務免除の意思表示がなされたものとは認めがたく、他に東京都によつて本件貸付金返還債務免除の意思表示がなされたと認めるにたる証拠はない。のみならず、原告の全立証その他本件全証拠によるも、そもそも当時訴外東京都が本件貸付金の返還債務を免除する権限を有していたものと認めるにたりず、かえつて、証人石葉光信、同下田善四郎の各証言によれば訴外東京都は右のごとき権限をなんら有しておらず、当時都においては被告らに立退きの補償金を支払うについて本件貸付金の返還の問題については善処方を約したままその後これについて確たる解決もないままに推移したに過ぎないものであることが認められる。よつてこの点に関する被告の主張は理由がない。

次に、消滅時効の成否につき判断する。まず時効の起算点につき按ずるに、本件貸付金の返還は原則として年賦償還の方法による定めであつたが、借主が離農した場合または借主から一時償還の申出があつた場合においては原告はその全部または一部につきいつでも一時償還を請求することができる約束であつたこと、そして昭和二四年一〇月ごろ本件貸付金の借主らは全員離農しあわせてその全額につき一時償還の申出をしたこと、はいずれも当事者間に争いがない。したがつて、原告は右特約にもとずき右一時償還事由が発生した日の翌日以後はいつでも本件貸付金の全額につきその一時償還を請求することができる地位にあつたものと認められる。原告は一時償還の請求をするためには一時償還事由発生後、知事の進達をまつて、調定、納入告知書の発行その他の手続をとることが必要で右手続に要する期間は現実に一時償還を請求することができないものであつたと主張するが、それは原告内部の実務処理手続上の制約からくる事実上の障害にもとづくものにすぎないもので、かゝる障害は消滅時効の進行開始にはなんら影響がないものと解すべく、また、かりに本件貸付金の借主らは一時償還事由の発生により即時かつ当然に期限の利益を喪失するものではなく、原告が納入告知書により指定する納期日までは期限の利益を有するものであつたとしても、原告は前記一時償還事由発生後はいつでも右利益を喪失せしめてその全額を請求することができたものであることに変りはない。そしてこのようにいつでも全額を請求し得るという利益を有する債権者はその反面において消滅時効の進行という不利益をも甘受すべきことは当然である。従つて本件貸付金返還請求権は前記一時償還事由が発生した日の翌日からその全額につき消滅時効が進行するものと解するのが相当である。

つぎに時効期間の点につき按ずるに、本件貸付は国が開拓者資金融通法にもとずき開拓地で耕作の業務を営む者等に対しその業務を助成するため必要な資金を予算の範囲内で貸し付けしたものにかかり、もとよりその返還請求権は国の金銭債権で、その貸付ならびに返還等はすべて同法のほか会計法、国の予算に関する法律、等の定めるところにしたがつて行われるものであることは被告ら主張のとおりであるが、右貸付は国が一方的かつ強制的に行うものではなく、借主がその自由な判断にもとずいて借入れの申込みをし、国が前記法令の定める範囲内においてこれに承諾を与えることによつて行われるものであり、またその返還に関しても租税滞納処分のごとき行政権による簡易迅速な強制徴収の方法も認められていないことなどの点にかんがみ、右請求権は性質上一般私法上の契約にもとづく債権と同一のものであると解するのが相当であり、前記法令上の制限も畢意行政主体のなす私法行為に対する制限を定めたにすぎないものと解される。しかして、会計法第三〇条は、国の金銭債権で時効に関し他の法律に規定なきものは五年の消滅時効にかゝる旨規定しているが、右法条の規定の仕方ならびにその立法の沿革等にかんがみ、国の金銭債権のうちでも、すでに民法にその時効に関する規定が置かれている私法上の債権については同条の適用はなく、その消滅時効の期間はもつぱら民法の定めるところによると解するのが相当である。したがつて、さきにのべたとおりその性質上私法上の債権であると認められる本件貸付金返還請求権の消滅時効の期間は、右会計法の規定にかゝわらず、民法第一六七条第一項により一〇年であると解するのが相当である。

そこでつぎに、右時効が中断したか否かにつき判断する。原告は、本件貸付金につき、その借主に対しそれぞれ別表(三)記載のとおり納入告知をしたと主張するところ、会計法第三二条が本件のごとき私法上の債権についても適用があることはその規定の仕方から明らかであり、また成立に争いのない甲第二号証、第四、第五号証ならびに第六ないし第一三号証の各原符の部分、および証人呉服利一、同伊藤治、同桑原正三、向神蔵春治の各証言を綜合すると、本件貸付金についての所轄官庁である農林省東京農地事務局において、原告主張のころその主張のごとき納入告知書をそれぞれ作成して、これを東京都を経由して、本件貸付金の借主らに送達するため、東京都に対し右転送方を依頼してこれを送付した事実を認めることができる。そしてこの事実によると特別の事情のないかぎり右納入告知書は東京都からさらにそのころ被告らに転送されたものと一応推認しうるがごとくである。しかし、右に挙示した各証人及び証人石葉光信、同下田善四郎の各証言、被告ら各本人尋問の結果ならびに本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば本件においては、本件貸付金の返還につき東京都はその係員を通じ被告らに対しできるだけ善処方を約していたこと、被告らはじめ戸山ケ原入植者は前記事情によつて離農し、そのころから昭和二五年はじめごろまでにかけて遂次同所を立退いて他に移転し、同地にあつた組合(戸山ケ原開墾組合)の事務所も撤去されたこと、東京都の当該担当部局が前記納入告知書をどのようにして各人に送達したかは今日明らかでなく、前記関係者らはあるいは個人別にしたはずといい、あるいは東京都開拓農協を通じて傘下単協を介して各人に送付したともいい、判然たるところがないこと、そのころこれら納入告知書が所期の送達を了した旨の報告書なり受取の如きは何一つ徴すべきものがないこと、昭和二八年ごろにおいても国側でなすべき一時償還手続の未了のものが相当あつたことが発見され、その中には本件被告らの名前も散見されていたこと、少なくとも昭和二七年ごろ以後においては東京都が本件納入告知書のごとき文書を発送する場合には書留郵便の方法によつていたと認められるにもかゝわらず本件納入告知書についてはこれを書留に付した証明資料のみるべきものが全くないのみならず、本件のごとき文書を発送した場合に官庁が通常作成保存すべきはづの発送簿その他発送に関するなんらかの文書すらこれを見ることができないこと等の事実を認めるに足り、加えて、本件被告らはその本人尋問において、いずれも本件納入告知書の到達の事実を強く否定しているのである。以上の状況によつて考えると、前記納入告知書が国から都へ送付されたという事実のみによつては、いまだ本件納入告知書がさらに東京都から各被告らに転送されかつ同人らに到達したことまではとうてい推認しがたいところであり、ほかにこれを認めるにたる適確な資料がない。しからばそのころそれぞれ適法な納入告知がなされたことを前提とする原告の時効中断の主張は採用できない。

したがつて、他に中断事由の主張のない本件においては、結局、原告の被告らおよび訴外白井浩三に対する本件貸付金返還請求権はいずれもその全額につき、前記一時償還事由の発生した日の翌日から起算して一〇年の後であるおそくも昭和三四年一一月一日までに時効によつて消滅したものといわなければならない。そして訴外白井浩三の右債務が消滅した以上、被告藤江の原告に対する右債務の保証債務も消滅したこともちろんである。右各債務は右時効の起算点たる前記一時償還事由発生の時に遡つて消滅したことになるのであるから、原告はこれに対する右起算日以後の利息ならびに遅延損害金の支払を求めることもできない。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 中川幹郎 渡辺忠嗣)

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